写真は,彫刻家・御宿至先生の「NUVOLA-a(雲)」という彫刻です。御宿先生の彫刻が好きで,前回の私のコラムに掲げた写真も実は御宿作品の1つです。彫刻家がこのような造形をどうやって思いつき人の心を打つ作品に仕上げるのか,私などには想像もつきません。1つ言えることは,その創造の裏には彫刻家がたゆまぬ研鑽と豊かな経験で掴んだ表現力・知識を持っているということでしょう。
 本人は意識することもなく当たり前に使っているけれども,言葉や図式等で他人に伝えるのは難しい知識。これを暗黙知と言うようです。これに対し,言葉や図式等で伝えることができる知識を形式知といいます。
 そういうわけで,暗黙知を他人に伝え共有化することは難しいことです。以前から,製造メーカーの世界で熟練工の技をどうやって後進に伝えていくかが社会問題になっていますが,これもその一例ですね。
 例えば,将棋の名人羽生善治は著書「決断力」でこのように言っています。「直感によってパッと一目見て『これが一番いいだろう』とひらめいた手のほぼ七割は,正しい選択をしている。・・・それは直感力であり,勘である。・・・直感力は,それまでにいろいろ経験し,培ってきたことが脳の無意識の領域に詰まっており,それが浮かび上がってくるものだ。まったく偶然に,何もないところからパッと思い浮かぶものではない。」
 つまり,こういうことでしょうか。誰にも日々の生業で経験し培ったものが詰まった「脳の無意識の領域」がある。大事な判断の場面では,そこからパッとひらめき直感が浮かび上がってくる。この直感力がその人の持つ暗黙知であると。
 私たち弁護士の仕事でも同じことが言えます。ある案件が持ち込まれたとき,当事者・関係者から事情を聴き,集めた関係資料を隅から隅まで読み込んでその事案の真相全体を正確に認識すれば,法律の適用を云々する前に,まず結論が直感でひらめくのが普通です。弁護士として真面目に日々研鑽を積み数多くの経験を踏むことによって「脳の無意識の領域」に法的判断力の粋が培われ,いざという時(具体的な事案に直面した時)にそこから直感力が浮かび上がってくるのでしょう。その直感の的中率が羽生名人のように七割以上であるかどうかは、それまでに積んだ研鑽・経験の量と質の程度によりますから,シニア世代の弁護士としては内心忸怩たる思いに駆られるところです。
 もちろん,弁護士は直感だけで仕事しているわけではありません。直感で得た結論が法的に正しいかどうかを検証し,その結論の正しさを説得するのが弁護士業務の本質だからです。弁護士は,いわゆる法的三段論法により小前提たる認定事実に大前提たる法規を適用しその結果得られた結論としての法律効果を提示することで相手方や裁判所を説得します。これは,直感で先に得た結論が法的に正しいことを論証するための法曹(法律実務家)固有の業務工程なのです。
 お察しのとおり,暗黙知の働きは仕事の領域に止まりません。例えば,ゴルフを始めようと思い立ったとき,まず教本から知識を得ようとする人が特に大人の場合は多い。教本は,文章や図・写真でゴルフスウィングを説明していますから,形式知です。形式知だけでゴルフスウィングのコツは獲得できません。練習で足下の小さなゴルフボールを打つだけなのに,なぜか悪戦苦闘します。それでも続けているうちに,ある時突然ナイスショットが出る。そして,どういうわけか,その後次々とナイスショットが出る。身体を使った反復練習でナイスショットのコツ(すなわち暗黙知)を掴みかけるのです。しかし,ゴルフからしばらく離れるとそのコツは直ぐに跡形もなく消え去ります。悪い癖だけが残るのです。これはどうしてなのか。思い浮かぶのは,暗黙知はその営みについての豊かな経験とたゆまぬ研鑽によってしか得られないということです。私を含めてアマチュアのアベレージゴルファーが毎日たゆまぬ練習などしていますか?連日ラウンドして豊かな経験を得ていますか?仕事でもないのにそんなことするはずがありません。私など練習場にはここ数年行ったことがありません。ラウンドも平日に行くことはありません。
 そのような私がそもそもゴルフスウィングのコツを暗黙知のレベルまで会得しようと考えること自体大それたことだった?!ゴルフの世界では,暗黙知などということは考えず,あるがままを受け容れつつゴルフそのものを楽しむのが一番のようです。