よく言われることですが,解決を求められている世の中の問題というものに「正解」はありません。そこでは幾通りもの解決策がある。そうなると,その問題の当事者は,幾通りもの解決策の中から1つの解決策を選択するということになります。その場合,当事者は,できればその幾通りもの解決策の中で最善の解決策というべきものを選択したいはずです。唯一無二の正解はないが,最善解は必ずあるはずだから。

 法的な問題について,法曹は,その最善解を得るために創造性を発揮しなければなりません。言い換えれば,事件を定型的に捉えないように自戒しなければならない。

 「事実は小説より奇なり」と言われるように,世の中で実際に生起した事案は,一つとして同じものはありません。唐突な喩えで恐縮ですが,ゴルフと同じですね。同じゴルフ場で何回もゴルフプレーしていても,毎回毎回そのプレーの状況は違い,前回と全く同じプレーであったなどということなどあり得ない。これと同じことです。したがって,法的事案についての解決策もそれが定型的であることなどあり得ない。そのためには,定型的な発想を打ち破ることも必要です。事案の真相にぴったりフィットした解決策(法律実務でよく言われる「落ち着きの良い解決」とか「据わりの良い解決」)を編み出すこと。それが最善解だと思い,その最善解を創造しなければならないと思うのです。

 最善解を編み出すために,何といっても大事なことは,事案の真相を掴むことです。事案に関連する事実を正しく捉え,広く深く見つめること。

 ある意味では,最善解は事実が教えてくれるとも言えます。実際,法曹の先達は昔からそのように言ってくれていたものです。法曹とは別世界の話ですが,いつかこのような話を聞いたことがあります。仏師は,仏像を彫る前に,素材の木の中に仏の姿を見ると言うのです。木の中におわします仏をそのおわします姿のまま彫り出すのが仏師の仕事だと。ハッとさせられる言葉です。法律実務にあてはめれば,どのような困難な事案であっても,その事案の真相を見極めることで,事実そのものが「解決策はここにあるよ」と知らせてくれる。そのことで法曹は自然にその事案の解決策を編み出す。そのような法曹の仕事に酷似しているように思います。

 ここで,あらためて自分を戒めなければなりません。事実を掴むために,証拠資料を端から端まで深く読み込んでいるか。登場人物を深く知り,その人間関係を正確に把握しようとしているか。現場に赴いてよく観察しているか。そして,事実を平板にありきたりに捉えないようにしているか。光と陰に満ちた事実をできる限り立体的に見るようにしているか。法曹として初心に返りたいと思います。

そのような努力を続けることで,事案の真相を把握できたら,その時は,これまでに修得してきた法知識と判例の数々,毎日の仕事の中で体得してきた経験則と実務知識。インプットすることに努めてきたこれらの情報の全てが私たち法曹の脳内で一瞬のうちに一つに集約されて化学反応を起こし,その事案の真相にぴったりフィットした最善解を知らせてくれる。その時こそ,法曹の創造性が発揮されるはずではないか。

 そのように思って,これからも新たな事案に挑戦しようと考えています。